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2019.4.30 街の変遷

 齢22の歳から48歳に至るまでを過ごした東京の街、日本橋人形町。
 昔々、江戸の頃。
 花街として栄えたこの街でありました。
 
 今は無くなってしまいましたが、「思案橋交番」なんて情緒たっぷりな名前の交番もありました。
 行こか戻ろか思案橋。
 
 大火で街が焼失した後、華やかなりし街は、今の吉原に移転することとなるのですが、それでも街のあちこちに江戸の頃からずっと商っているお店も多々あり、オフィス街日本橋でから程近い場所にあるものの、学校を出たての小僧にはあまり刺激の少ない下町でありました。
 
 小僧がよく遊んでいたのは、新宿、渋谷とは街の装いが全く異なりますから。(´・ω・`)
 この二つの町も、今は再開発が進んで自分が知るころとはまた変貌しているのでしょうけれど。

 街が変わるきっかけは、オリンピックを契機に、というところかな。
 とにかくあちこち工事してばかりという印象。
 昭和39年を迎える時もそうだったんでしょうね。

 
 さて、人形町です。
 フェイスブックの人形町コミュを眺めていると、蠣殻町を含めて、大きく街が変わろうとしているということがわかります。
 特に飲食店は、何十年も営業を続けていたお店が立ちいかなくなったり、新規出店する店もなかなか持たずに、開閉店のサイクルが短くなっているようです。
 
 街の様相を替えた原因は、お隣の証券業界の兜・茅場町、商品業界の蠣殻・小伝馬町の商品会社等の撤退もあります。
 証券のシマでいえば、売買手法の変化による働く人が大きく減ったということもあるし、バブル崩壊、リーマンショック、ネット系証券会社の隆盛と既存の証券会社の衰退等々、理由は様々あるのでしょうけれど、勤め始めた頃の兜町と今とでは、街はここまで変わるんだというぐらいお店や会社の看板は変わりました。


 商品のシマで言えば、取引所が無くなったのがでかいか。
 食えなくなった商品会社たちも店をたたみ、跡地は、高級マンションが立ち並ぶ街に。
 
 江戸時代からのコメ取引、戦後再開した商品相場等々数多くの悲哀と隆盛を重ねた街のシンボルが消滅するというのは、あの頃全く想像できませんでした。
 そこで働き、支えていた人たちが居場所を失うことは、長く街で商っていた飲食店たちも収入を失うこととなりますから、町の風情・情緒も大きく変わります。


 商品業界は、ここ数年の衰退ぶりからすると、遅からず証券に吸収されるのは目に見えていましたが、今春それが発表されました。
 理由だとか原因については、あえてふれませんが、江戸、明治、大正昭和と来て平成に至る今、大きく変わることのなかった時代が、今大きく変わろうとしていることを実感します。

 変化の少なかった街でも、街並みが変わるときというのは、あっという間に変わるのだということを実感しています。 

 
 今日で平成はおしまい。
 一区切りです。
 
 明日から令和。

 reimei[1]

 おめでたいからささやかではありますが、明日はちらし寿司でも作ってお祝いしようかということとなり、神前仏前のお供えのお菓子も一新しました。


 新たなる元号令和元年が始まる明日を前に気になっていたことを少し書きました。 
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セニョちゃん

Author:セニョちゃん
筆舌につくしがたい腰痛、治療、そして整体を学び、それを生業としての整体生活が十和田市で始りました。
地域密着施系のカズ整体院です。
整体に限らず幅広い情報を発信していきます。
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